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大正ロマン、昭和モダンの面影が残るまち

寄居駅の改札前に設置されたスピーカー。近づくと、寄居ゆかりの作曲家・佐々紅華の代表作で、故フランク永井のリバイバルにより、第3回レコード大賞を受賞した名曲「君恋し」のメロディが流れてきます。多くの巨匠たちに愛されたまち・寄居。今も残る大正ロマン、昭和モダンの面影をたどりながら、玉淀文化の歴史を探ります。

玉淀を愛した巨匠たち

寄居町の市街地には、大正から昭和にかけて建てられた歴史的建造物が今なお、ところどころに残っています。きっと当時は時代の最先端をいくモダンな建物だったのでしょう。今となっては、懐かしいレトロな雰囲気を醸し出しながら町並みに溶け込んでいます。

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旧裁判所

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現在の玉淀河原

んなノスタルジックな町並みを巡りながら、荒川沿いを歩くと、宮沢賢治が秩父方面への地質調査の途中、立ち寄った玉淀で詠んだ歌の歌碑をはじめ、寄居を訪れた多くの句碑や歌碑、詩碑が点在し、「ふるさと文学碑歩道」として、親しまれています。
このように、宮沢賢治のほかにも、大正から昭和の時代には、県指定名勝玉淀の美しさに惹かれ多くの文人等がこの地を訪れています。
歌舞伎役者、七代目松本幸四郎もそのひとりで、荒川を望む正喜橋近くの敷地(現在の雀宮公園)に別邸(雀亭)を建て、たびたび訪れていたということです。

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その後、当時の流行歌を数多く作曲していた佐々紅華が、東京から移り住み、玉淀の観光開発に力を注いでいた町民と深く関わることとなります。また、戦中は、洋画家の大家・安井曾太郎が寄居に疎開しており、近世では、小説家の井伏鱒二や、時代小説で有名は池波正太郎が寄居を舞台に作品を書き綴っています。

玉淀文化を支えた佐々紅華

大正から昭和にかけ、活躍した寄居町ゆかりの作曲家・佐々紅華。その才能は、音楽だけにとどまらず、建築、デザインと多岐にわたりました。作曲家としての紅華は、浅草オペラの創始者として活躍し、数々の流行歌を手がけました。代表作の「君恋し」をはじめ、「祇園小唄」や、寄居を唄った「寄居小唄」などを世に送り出し、一世を風靡しました。
紅華は、縁あって寄居町に移り住み、昭和7年から亡くなる昭和36年まで居住していました。その邸宅が、意匠の細部までこだわり、自らが設計した現在の「京亭」です。時代に花開いた大正ロマン、昭和モダンを体現した希有のアーティスト佐々紅華。玉淀文化を支えた偉人のひとりです。

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寄居小唄の碑

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京亭

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細部にこだわりが

このように、寄居町には大正ロマン、昭和モダンの雰囲気を感じることができます。特に、玉淀付近は、情緒ある風景が広がります。これからの季節、雀宮公園を中心に、素晴らしい紅葉が楽しめます。“寄居歩き”いかがでしょうか。

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紅葉の雀宮公園

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