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市街地を歩く~七代目松本幸四郎別邸跡地「雀宮公園」~

中心市街地活性化推進室です。寄居町では、「中心市街地活性化基本計画」に基づき、ハード、ソフトの両面で、市街地の活性化に取り組んでいます。この基本計画にも位置付けられている「雀宮公園」の整備について、その取り組み状況をお知らせします。

歴史

寄居駅から徒歩10分。自然あふれる荒川沿いに雀宮公園はあります。この雀宮公園は、かつて歌舞伎の名優・七代目松本幸四郎の別邸が建っていた場所です。七代目幸四郎は、1913(大正2)年、自然豊かな景観を愛し、この地に別邸を新築。その祝賀会の招待客は、長瀞から船下りを楽しんで別邸下に着き、「絶えず打ち上げらるる花火は山に響き川に伝わり、未曾有の盛大なりき」と当時の新聞に大きく報じられました。この別邸は、「雀亭」と称され、幸四郎の心の安らぎの場、おもてなしの場として、こよなく愛されました。

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かつての舟下り

七代目松本幸四郎

七代目松本幸四郎は、1870(明治3)年、現在の三重県員弁郡東員町で誕生。1874(明治7)年、4歳の年に、母とともに上京したといわれています。京橋区(現在の中央区)に落ち着いた母子は、そこで菓子屋を始めました。この店の顧客であった藤間流家元の二代目藤間勘右衛門の養子として踊りを厳しく仕込まれ、11歳になると市川団十郎の門に入り、歌舞伎俳優としての才覚を表し、その後1911(明治44)年、七代目松本幸四郎を襲名しました。恵まれた容貌、堂々たる口跡に裏打ちされた風格ある舞台で、時代物、荒事に本領を発揮し、特に、九代目市川團十郎の直系の芸である「歓進帳」で弁慶を演じては、彼の右に出る者はなく、生涯を通じて1600余回演じ、不朽の演技として後世に語り継がれることになります。なお、十代目松本幸四郎、女優の松たか子、十一代目市川海老蔵は曾孫に当たります。

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鮎料理の名店・京亭にある幸四郎の隈取

武州寄居町雀亭

七代目幸四郎は、自らの著書『松のみどり』(1937年刊)で、“私は山の景色が好きですが、就中(なかんずく)渓流が大好きで青葉時とか紅葉の頃に岩に激し、淙々(そうそう)として流行く京都の保津川下りなど殊(こと)に好みまして度々やりました。(中略)秩父の長瀞と寄居の間七里の渓流が保津川に劣らぬところだということを聞いて行つてみました。そして大いに氣にいったので直ちに膝を要るゝに足るだけでは御座いますが別荘を建てたので御座います”と記しています。この別荘が「武州寄居町雀亭」であり、昭和初期まで存在していました。

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雀亭の跡地は、市街地の住民を中心に、「雀の宮公園」として親しまれ、町民の憩いの場となりました。その後、諸事情により、長きにわたり閉鎖となり、いつしか木が生い茂り、うっそうとした雰囲気で、公園としての機能は失われていました。

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賑わうかつての荒川

雀宮公園リニューアル

町では、歴史的背景や市街地からのアクセスの良さ、また、素晴らしい景観などから、重要な観光資源として注目し、平成29年に敷地を取得。時期を同じくして、中心市街地活性化基本計画が国から認可され、基本計画に公園の整備を盛り込み、年々整備を重ねました。また、埼玉県とともに、公園内にとどまらず、県指定名勝・玉淀と一体的に、玉淀親水遊歩道、親水広場、親水護岸等の整備を行い、令和2年11月、玉淀親水遊歩道の開設とともに、リニューアルオープンし、多くの方にご来場いただいています。公園内は、かつての「武州寄居町雀亭」をイメージした東屋の建設、窪地をまたぎ南北を結ぶ橋の設置、車いすでも利用いただける園路を整備する一方、園内に当時から残ると思われる石積みや、石でできた階段はそのまま利用するなど、当時の面影を感じることができます。市街地にありながら、緑豊かで、秋の紅葉も素晴らしく、荒川の眺めも絶景で、寄居町を代表する文化的、歴史的な価値も高い観光資源のひとつです。

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十代目からのメッセージ

寄居町のいずれもさま、ご機嫌よろしゅうございます。松本幸四郎です。
この度は、寄居町長・花輪利一郎様よりお手紙をいただき「雀宮公園」に寄せて一筆添えさせていただくことになりました。まずは感謝申し上げます。
2018年に東京・歌舞伎座にて父が二代目松本白鸚、倅が八代目市川染五郎、私が十代目として松本幸四郎を、三代同時襲名興行としてお披露目させていただきました。私の家は曽祖父にあたる七代目幸四郎より歌舞伎俳優を生業としておりまして、祖父、父も「勧進帳」の武蔵坊弁慶をはじめ、骨太で男気のある役々を勤めております。曽祖父が別邸を構えておりましたご当地が、“憩いの場”として「雀宮公園」が愛され続けていることに私にとりましてもありがたく喜んでいる次第です。
劇場という空間でご観劇の皆様に夢を見ていただくことが役目の我々舞台人は、自然に接することが少ないインドアな生活で、また、東京を住まいにしていると遠くの景色でさえなかなか見ることができません。曽祖父は山や渓流を眺めるのが好きだと私のバイブルでもある「松のみどり」に書いてあります。力強く、そして繊細に歴史を刻み続けている「自然」から舞台を勤める力を養っていたのかもしれません。四季折々に姿が変わる「雀宮公園」がやすらぎの場、出会いの場として「不変」であり続けますように。また、この度の新整備のごとく進化という「可変」が起き続けますように心から祈っております。
曽祖父が眺めていたご当地の紅葉をひ孫である私が眺めたい切なる願いがありますが、その日が訪れるまでは私の家に植えてある“いろは紅葉”を眺めております。
寄居町の皆様にご多幸が訪れますように。

署名背面透過

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このようにありがたいメッセージをいただきました。十代目がこの地を訪れ、古の雀亭に思いを馳せ、素晴らしい紅葉を眺めていただく日が来ることを切に願っております。


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